タイガースは1966年11月9日に上京(この頃はファニーズという名前でした)。
同月15日には初TV出演「ザ・ヒットパレード」の収録があり、この時にすぎやまこういち氏によって「タイガース」と命名されました。
デビューは翌年1967年2月5日のシングル「僕のマリー」。
ジュリーの類まれなルックスと甘く澄んだ声に少女達(私も入ってる)はたちまち彼の虜になってしまったのでありました…。
タイガースはあっと言う間にGSの頂点に立ち、ジュリーは1アイドルの座を不動のものにしました。
1971年1月24日の解散コンサート(ザ・タイガース ビューティフル・コンサート)までのわずか4年の間でしたが、
社会現象まで巻き起こした強烈な印象は今でも青春の1ページとして私達の心の中に鮮明に残っています。
デビューは1966年11月(ジュリー18歳・私小学生5年生)
はじめてTV「ザ・ヒットパレード」でジュリーを知り、
「ありぁ、東京にはなんて綺麗なおにいちゃんがいるんだべ」と、赤いほっぺの小学生は益々顔を赤らめました。
とにかく異常なまでの人気ぶりで社会現象まで引き起こしました。
学校からも「コンサートに行ったらダメ」「ファンクラブに入ったらダメ」との御触れが出る始末!
結局タイガースが解散するまで、1度も生では見れなかったのが今でも悔しい想い出として残っています。
1971年の解散コンサートではTVの前で思いっきり泣きました。
以降1月24日はラジオの深夜放送で夜を明かしましたね。 byくみこ
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6年生のとき、そろばんの大会で、田舎から札幌へバスに乗ってやってきました。
街なかに入ると、市民会館の屋上にでっかい「タイガースショー」と!
バスは、無情にも通りすぎて行きました。 その時、信号でも何でも、バスが止まりさえすれば、確実に私は降りてました。
そういうことが平気でできるAB型です(笑) じっくり考えるということが出来ません(笑)思い立ったら、実行してます。 byとも
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中学生の頃.....どの雑誌かは忘れましたが、「タイガースファンの方文通しませんか〜」に思わず反応して即手紙を書きました。
ジュリーを一緒に語れる人がほしい〜と…今とまったく同じですね^^;
確か石狩の方だったと思うのですが、私は田舎に住んでいたので、彼女の情報が待ち遠しく、お互い顔も知らないのにジュリーの事で一喜一憂したものです!
彼女が今もジュリーファンで居てくれる事を願って、そしてここに、いつか辿り着いてくれる事を心から願っています。
タイガース…一度だけでも生のステージ体験したかった〜 by たか
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私は3歳上の姉の影響を受けてタイガース(ジュリー)のファンになったわけですが、
当時小さな田舎町に住んでいた私はただただTVに映る美しいジュリーの姿を観るだけの夢見る少女?でした。
それゆえに、エピソードなるものはひとつもなく、そこで姉の経験を代わりに書かせてもらうことにします^^
当時中学生だった姉は学校を休んで札幌でのTG公演に出かけて行きました。私と違ってあの頃の姉は行動的でした(今はすっかり逆転)。
後から知ったのですがそのことが学校にばれて母が呼び出されたそうです。by よっぺ
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タイガースを知ったのは高校生の時で(歳がバレバレですね)
その頃、世間ではコンサートに行く事は禁止されていました。
でも私の学校では「君たちの良心に従って行動しなさい」と。
私の良心は「コンサートに行きなさい」だったので札幌のスポーツセンターでのコンサートを観に行きました。
外には先生方がいて、自分の学校の生徒を見つけると無理やり連れ戻し大騒ぎになっていました。
コンサートが始まるとキャー!ワァー!すごかったですね〜。
私は割と前の方だったのですが、双眼鏡でしっかりジュリーを見てました。
その時、双眼鏡越しにジュリーの目とバッチリ合ってしまい、それ以来あの大きなお目目に魅せられてしまったのです。by のり
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