ベストテン番組の水戸黄門時代(1981〜1985)32歳〜37歳
タイガースが第一期黄金時代なら、この時期は第2期黄金時代の後期というのでしょうか。
アイドルがどんどん入れ替わる中で、ジュリーの存在は益々大きさを増しました。
「次はどんな曲?どんなコスチュームで?」という期待感はお茶の間に留まらず、芸能界全体に及んだようです。
「TOKIO」では背中にパラシュートを背負い、「恋のバットチューニング」では目にゴールドやブルーのカラーコンタクト。
帽子の斜め被りもすっかりトレードマークとなり、もはや沢田研二の名を知らぬものは居なかったに違いない。
「この印籠が目に入らぬか〜」縦横無尽に駆け巡っていたが、この期を境に、活躍の場がTVから舞台や映画に代わっていく。
タイガースが解散して10年…「さよなら日劇ウェスタン・カーニバル」でメンバーが集まった事がきっかけで1981年新生タイガースを期限付再結成。
「10年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」の新曲もヒットし、紅白歌合戦では、「タイガース」と「沢田研二」として同一会に2度も出演という快挙も成し遂げた。
そして、翌年「ザ・タイガース同窓会コンサート」が札幌厚生年金会館にもやって来たのだ!
ついに生でタイガースを味わえる時が!!
受付初日にチケット申し込んだのに、頂いた席はなんと2階席!!人気のすごさにちょと嫉妬
(ジュリーのコンサートじゃ、2階席なんて1度もなかったぞ)
客席の雰囲気もまるで違う!黄色い声は茶色に変っていたが、会場の興奮は初めて体験する「逆巻く怒濤」だった。
私もまけじと叫んでみたが、まわりの声にもみ消され、自分の声さえ聞こえない…これがタイガースだったのか…
改めて凄さを実感した貴重な体験でした。byくみこ
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「色つきの女でいてくれよ」「ストリッパー」が流行っている頃、当時3歳のいとこの子供がよく私の部屋に遊びに来ていました。
「色つき...」の時私はトッポ彼はジュリー!
ストリッパーの時はスカーフを巻きつけてヒラヒラさせてといい二人で何回も歌ったものです。
「ジュリーごっこしょう〜」が合言葉で誰かに見られたら「大丈夫?」って言われるくらい,なりふり構わず二人でハシャギました。
今彼は27歳...覚えているのかな??? byたか
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私にも念願の生タイガースを観るチャンスがやってきました。
確かその時は次男がお腹にいたのに、グッズを買うために長蛇の列に雨の中傘もささず並び、タイガースがプリントされてるグレーのトレーナーを買いました。
コンサートはもうもう感動・感動・感動でした〜!
出来るならずーっとこのまま活動して欲しいと切に思いました。
停電のハプニングもあり、なぜかシローが言った「こんなに儲かるんだからずーっと続けたらいいのに・・・」の言葉が印象に残っています^^; byよっぺ
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タイガース復活コンサート!夢にまで見たタイガースがこの目で見ることができるんだ〜!
と有頂天になっていた私ですが、なんということでしょう...チケットが取れなかった〜〜〜;;
「いつまでもジュリー・ジュリーって騒いでるんじゃありません!」と言っていた母も、
私のあまりの落ち込みぶりに、さすがに慰めてくれました。
「また今度の時に行けるよ、きっと^^」
もう、「今度」はないんだよ〜〜〜!!(グスッ;;)
というわけで、タイガース未経験の私。
その心残りが、今の私を作り上げたのかもしれない。
それにしても、紅白で2回も歌ったのはジュリーだけじゃないですか?
ソロとして、タイガースとして・・・大満足でしたね〜☆byとも
艶かしき時代(1986〜1990)37歳〜42歳
この頃のジュリーには、いつもハラハラ・ドキドキさせられました。
半年間の充電期間のあと、プロダクションからの独立、不倫騒動、離婚、再婚…。
歌番組よりもワイドショーでお目にかかる方が多かったかも…マイクを向けられるたびに映し出される険しい表情や言葉に、心が痛かった。危機感も感じた。
そして、歌のジュリーはなんとも艶めかしかった!
ソバージュの頃はフェロモン全開だったのではないでしょうか。
「何もそこまでしなくても…もっと爽やか系でいいじゃない…」あの頃の私は、そう感じていました。
たしかに妖艶で美しいのだけれど、なんか私には重過ぎました。
TVだからですね?きっと。
暗い客席からステージ上のジュリーを観ていれば、もっと違う感動をもらえた筈だと確信しています。
何故なら、今では「ソバージュ・ジュリー」がどの時代より好きですから!by くみこ
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ステージを観ていても、ジュリー自身に迷いを感じた時期でした。
歌に全身全霊をかけていたそれまでと、何かが違う・・・と感じたのは私だけでしょうか。
「誰も歌を作ってくれなくなったら、いつやめてもいいと思ってる」発言は未だに忘れません。
「自分の人生や、それは自分で決めることや」・・・絶句・・・拍手したのは、2〜3人だけ。
そのあと、何事もなかったように歌い始めたジュリー。
当然、のれるわけもなく、ただただ悲しい気分で帰宅したのを覚えています。
きっと、いろんなことに悩み、葛藤していた時期だったのかな〜と思います。
(私のような凡人にはわからない何かがあるのでしょうね〜)
そんな時期を乗り越えて、ACTという画期的な舞台が始まるんですね〜。
この頃から、益々魅力的に!
もう1つ、「架空のオペラ」のコンサートを思い出して一言。
蜷川幸雄さんの斬新な演出のステージでしたね。 幻想的で、ジュリーは美しく、息を呑むほどでした。
ひとつ気になることが・・・あの雨はあんなにどしゃ降りで良かったのでしょうか(笑)
どの会場でも、あんなにどしゃ降りだったのでしょうか・・・ずっと、気になっていました。
ジュリーが歌っているにもかかわらず、ザーッ!と音がするほど降ってましたよね(笑)
札幌以外の方に聞いてみたかったのです〜。
それにしても、素晴らしいステージでした〜何十年(?)経っても、鮮明に覚えているくらい☆
終わったあとに、はじめてジュリーのステージを観にきたらしい、おばちゃんが言ってました。
「やっぱり、一流は違うね〜!」「なんか、気をそそるのがうまいわ 〜」 フムフム・・・後ろからつい、ツッコミを入れそうになりました。
「気をそそるのがうまいんじゃないよ!持って生まれたオーラだよ!」って(笑) by とも
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この頃は子育て真っ最中!コンサートで札幌に来ているなんて夢にも思わないで、ただただ 忙しい毎日を送っていました。
そんな時でもテレビ欄だけはチェックして観るようにはして いました。
当時はそんなに思わなかったのですが今改めてみるとソバージュの頃の何とも言えない神秘的な感じにとっても惹かれます。
「さんまのまんま」に出演した時の透き通るように白い肌、笑顔...どれをとっても「う〜ん!素敵〜」と溜息をついてしまいます。
「女神」を聴いた時もこれはジュリーにしか歌えない!なんて一人で納得していました。
手を差し出してジュテ〜ム〜!なんて歌われたらそのままバッタンキューって倒れてしまいそうです^^; by たか
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この頃は私はまだファンクラブにも入っていなくて(あったのかな?)
ジュリーの情報はTVからしか入ってこなかったし、年1度のコンサートも
新聞で知って、発売当日は1番に売り場へと出かけチケットを買ってました。
でもそれでもそう大して悪い席でもなかった気がします・・・ということはどういうことなのか、ここでは触れないことにしま〜す。
それでジュリーが毎年アルバムを出していても買うでもなく、今のように予習しても行かない!
それだものヒット曲にしか反応出来ないしいつもそうだけど。
ただただ目の前の1年ぶりに見る生ジュリーを1秒足りとも見逃すまいと必死だった!
ゆえに後にあの時のコンサートはこうだったよね?と聞かれてもほとんど記憶に残っていないという情けなさ(悲)
ましてやビデオなど購入したこともなく、これでファンって言えるのかな〜と今になって後悔しきりの日々なのであります^^; by よっぺ
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